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防災インタビュー 第一回 宮本琢也さん
防災インタビュー 第一回 宮本琢也さん

プロフィール

「カメラピープル」運営
有限会社monogram ディレクター 宮本琢也さん

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今回のゲストは、目黒区・学芸大学前にある写真屋さんでもあり、カメラ・写真好きが集まるSNS、「カメラピープル」を運営する有限会社monogramのディレクター、宮本琢也さんです。まじめで誠実そうな宮本さん。「実はついこの前まで金髪だったんです!」という衝撃的な告白からインタビューがはじまりました。

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宮本さん、はじめまして。今日はよろしくお願いいたします。
宮本さん
よろしくお願いします。
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早速ですが金髪にした理由はなんだったんでしょうか??
宮本さん
もうすぐ40歳なんで、なんか見た目から変えたいと思って。こういう業界なので、仕事関係の人には評判が良かったんですけど、子供に不評で・・・。いつ黒にすんの?と何度も聞かれたので、1ヶ月もしないうちに黒く戻しました。僕ボーイスカウトもやってるんで、子供たちからはすぐに「外人」というあだ名が。嫁さんにも「いい年して」って言われました。僕的にはそんなに変わらないと思ったんですけどねぇ。
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お子さんに言われると辛いですよね。
宮本さん
そうなんですよ。まぁ金髪で関西弁ですからねぇ。やっぱり普通の人に見えなかったんでしょうねぇ。しかもその時に髪の毛も短くて、急に金髪から黒髪の短髪になって、何か悪いことした後に更正したみたいになって(笑)。
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今度ぜひ貴重な金髪写真を見せて下さいね(笑)。

防災インタビュー 第一回 宮本琢也さん

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今回のテーマは「防災」なんですが、特に震災のあった3.11以降、何か変わった点はありますか?
宮本さん
ありますね。まず家も事務所も非常用のグッズは揃えました。明かりになるようなランタンや、電池。基本的なものですね。それとオフィスは3階建ての細長い古いビル。オフィスのドアが鉄の扉なんですが、震災で少し歪んだようで、建て付けが悪くなってドアが少し重くなりました。こんなこともあって、今では会社用に防災マニュアルを作って事務所に置いてあります。すぐにドアを開けて通路を確保しようとか、これも基本的なことです。
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それは結構本格的ですね。やろうやろうと思っても、実行する人はあまり多くないと思います。
宮本さん
ただ家族には神経質過ぎるって突っ込まれますけどね。
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被災地支援もされていらっしゃるそうですね。
宮本さん
はい、富士フィルムさんからのお声がけもあって、写真の洗浄のボランティアをしました。それをネットにあげたりして、「こんな活動をしている人もいるので応援して下さい」と呼びかけました。
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写真は被災された方にとっては本当に大切なものですよね。
宮本さん
そうなんです。僕自身もできることといえば写真に関わることだと思っていて、今は気仙沼の方々と一緒に別の活動もしています。
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どんな活動なんですか?
宮本さん
気仙沼の方々が、気仙沼の「今」を見てもらおうと、「気楽会」という名前で自主的に町歩きのボランティアをしているんです。そことコラボレーションした企画だったんですが、僕らの会社が運営するカメラピープルで呼びかけたり、気仙沼に拠点があるほぼ日さんにも発信していただいて、現地集合したんです。そこで2グループに分かれて気楽会の方に案内してもらいながら町歩きをして各々に写真を撮りました。それをもとに「5月のある日の気仙沼」、という本を一人ひとり作ったんです。
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これは凄いですね。僕も被災地の写真を撮ろうと思ったんですが、ちょっとシャッターを押すのが悪い気がしてなかなか写真が撮れなかった思い出があります。この時はどうでしたか?
宮本さん
気楽会の皆さんの活動の目的が悲観的ではなく、どんどん復興して行く様子を皆さんに見て欲しい、というものなんです。だから僕たちも感じるままに自由に写真を撮ることができました。実際に本になったものを気仙沼の皆さんに見てもらったんですが、とっても喜んでくれて、シリーズ化しようと今動いているところです。
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現地の皆さんの想いとマッチしたとっても素晴らしい企画ですね。
宮本さん
そうですね。本当に東北は僕には魅力的に映りました。僕は大阪の出身なんで、東京は冷たく感じるし、西に帰るとホッとするんですけど、それとは違う魅力が東北にはありました。ある時気仙沼の皆さんに、「魅力はなんですか?」とお尋ねしたら、みんな口を揃えて「ヒト」とおっしゃったんです。なかなか言えないと思うんですよね。今では被災地に行く、というよりは、その魅力的な人々に会いに行く、という感覚で訪れています。
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宮本さんは大阪出身ということでしたが、阪神淡路大震災もお隣の県で経験されていますよね。その時と比べて今回は何か感じたことに違いはありましたか?
宮本さん
あの時は幸い直接の知り合いが大きな被災をしたり亡くなられたりということはなかったんですが、やっぱり知り合いの知り合いまで広げると多くの人が辛い経験をされていました。僕も1年間ボランティアに参加したり。防災の意識は高まりましたね。でも当時は若かったのと、独り身だったので今回とはまったく違う感覚でした。
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現在ではご家族がいらっしゃいますよね。やはりそれは大きな影響を受けていますか?
宮本さん
間違いないですね。自分が助かればいいや、というのと家族を守らなくちゃいけない、というのは全然違います。会社のスタッフも含めて、自分の手の届く範囲は守りたいな、と。不特定多数の人々に「防災を意識しよう、備えよう!」ということを発信すると、煙たがられることもあります。でも家族やスタッフはどうしても守りたい。そこには責任を持ちたいと思っています。
宮本さん
それともう一つ。僕は写真も守りたい。被災地の皆さんも、本当に写真で救われたり、悲しんだりしていました。今はPCにデータを入れていたり、クラウドにあげているから大丈夫、とおっしゃる方も多いんですが、PCはデータが飛んだら見られなくなるし、クラウドはその方が亡くなられたら見ることができません。でも写真は本人じゃない誰かが見つけてくれて、「あそこの誰々さんだ!」という風になることもあるわけです。写真には「見つけ出される強さ」があるんです。だからこれからも僕はそこにこだわっていきたいと思っています。
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本当に貴重なお話ありがとうございました!これからの宮本さんの活動に、私たちも注目していきたいと思います。

防災インタビュー 第一回 宮本琢也さん

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最後になりますが、非常食宅配サービスのyamoryへ宮本さんからエールをお願いします。
宮本さん
CAMP FIREで、当時最速で資金が集まったとお聞きしました。ということはそれだけ注目度も高いし、ニーズがあるということだと思います。必要としている方にちゃんと届くといいな、と思います。ボーイスカウトのモットーに「備えを常に」というのがあるんですね。そういった考えがyamoryを通して多くの人に伝わるように期待しています。

かなり防災意識の高かった宮本さん。こういった方が増えるといいなぁと思いました。 印象的だったのは、いざという時のシナリオが宮本さんの中で明確だったことです。会社にいる時に地震が起きたら?スタッフはどうする?家族は?必要なことが頭の中で整理されていてとても明確でした。 お忙しい中で気さくに、そしてとても協力的にインタビューに答えて下さった宮本さん。 私たちインタビュアーの方が勉強になりました。ありがとうございました。